時間を隔てて描かれた絵と撮られた写真を、今見て想像すること。

生誕100年を迎えるいわさきちひろが、現在活躍するさまざまな作家とコラボレートする「Life展」。安曇野ちひろ美術館で7月16日(月)まで「Life展」ひろしま 石内都 が開催中だ。石内さんは2007年より広島の平和記念資料館に通い始め、被爆死した人たちの遺品と被爆した品物を撮影している。本展では、被爆した子どもたちの詩と作文にいわさきちひろが絵を寄せた『わたしがちいさかったときに』(童心社)の絵と石内さんの「ひろしま」シリーズが、ひとつの空間に展示された。「ひろしま」というキーワードで、初めて結びついたモノクロの絵とカラーの写真。並べて見ることで、新たな感情が湧いてくる展示だ。今回は、写真にまつわる著作も多い作家の柴崎友香さんをお迎えし、参加作家の石内都さんと対談をしていただいた。写真を通して“見る”こととは──。

 

柴崎友香(以下、柴崎)  安曇野の展覧会はちひろ美術館から声を掛けられたと「Life展」のコンセプトブックに書いてありましたが、今回の展示の経緯はどんな流れだったのですか?

石内都(以下、石内)  そうなの。いわさきちひろって全然興味がなくて、どちらかというと苦手なタイプの絵だったんです。教科書とかでよく絵を見た世代って、たぶん私よりも年下の人たちですよね。私が知っているいわさきちひろっていうのは、共産党の有名な議員さんだった松本善明さんと結婚されたということくらい。だから、なんで私がいわさきちひろとコラボレーションするの?って思っていました(笑)。

柴崎  私もこの対談のお話を聞いたときに、意外だなと思いました。

石内  でしょ? 別世界の人だと思っていました。でも、基本的に「ひろしま」関係の展示に関して来た依頼は受けようと思っていて。あのシリーズに関しては、自分が「ひろしま」を撮り始めたっていう意味において、全責任をとろうと考えているのです。そして、美術館の方からいろいろな資料をもらって彼女の生き方を知ったときに、私の知らないいわさきちひろがいたんです。ちひろさんは、うちの母と2歳違いで満州に渡った経験があり、しかもふたりとも再婚していて、旦那が7歳ほど年下。そんな共通点に仰天して、もっと彼女のことが知りたいと思うようになった。私と関係ないと思っていたちひろさんとつながったんです。

柴崎  意外な共通点でしたね。

石内  母は大正5年(1916)生まれ、ちひろさんの方が2歳下です。母は女も手に職をつけなきゃと18歳で車の免許を取ったんです。当時だったら、女性の手に職というとタイピストかお針子だったんですが、ちょっと変わってますよね? 群馬では、運転免許を取った2人目の女性で、タクシーの運転手をしていました。満州で結婚した旦那は戦死したと思って群馬に帰ってきて、そこで学徒動員で来た男性と出会いました。戦後を体現しているふたりなんです。一方でちひろさんは、共産党議員の松本善明さんと結婚された。当時の共産党というのはすごく力があって、きちんとした思想を持つ人はみんな共産党に入っていたんです。そういう意味で、ちひろさんはすごい女性だなと思う。ふたりとも、当時の混乱のなかできちんと生き方を考えていた女性で、しかもいろんな共通点があったことで、すごく身近に感じられたんです。

柴崎  遠いと思っていた方が、すごく近い存在に感じられたんですね。私もいわさきちひろが『わたしがちいさかったときに』を描いていたということを、今回初めて知りました。私の世代だと、昭和48年(1973)生まれなんですが、絵本など身近な存在で、可愛らしい、きれいな絵を描かれる方だなというイメージが大きいですね。なので、広島のことを描かれていたのが意外でした。

石内  資料に書いてあったんだけど、彼女は広島に行ったけど、資料館に入れなかったそう。きっと屍の上に私はいるんじゃないかって思ったんですよね。すごくナイーブで感じやすい、想像力が豊かな方だったんじゃないかなと思います。原画を見ると、小さくて繊細な線で描かれていて、ひとつも強いところがない。

柴崎  同感です。この絵を描くのは辛かったんじゃないかなと思いながら、どういう気持ちで書かれていたのかなと考えてしまいました。

 

 

石内  鉛筆画だからモノクロでしょう。それに対して、私の「ひろしま」は大判でカラーなんだけど、同じ空間にあってもおかしくない。私も人の絵と自分の写真がコラボレーションできるか最初は不安だったんだけど、やってみたらすっと自然に展示できちゃったんです。(ちひろの)息子さんの松本猛さんがオープニングのときに「ちひろの絵に色がついた」と言ってくれて。コラボレーションがうまくいったのは、広島というテーマに力があるからだと思います。まだなにも解決されていない。未解決のものがまだまだいっぱいあるから、呼ぶ力があるんだと私は思う。ほかのテーマではできない。今まで、いろんな場所で「ひろしま」を展示してきて、今回ちひろ美術館で展示をしてみて、「ひろしま」が今までとは違う広がりを持った展示になったような気がしました。ちひろ美術館は、普通の美術館と違う、絵本を中心に展示する美術館なので、客層が全然違うわけです。「ひろしま」は、いろんな人が見なきゃいけないし、いろんな人と関係を持たなきゃいけない。そのひとつとして、ちひろ美術館が私を呼んでくれたんだなと思います。すごくいい経験をさせてもらいました。想像以上ですよ。

 

 

「ひろしま」というテーマで、
つながる絵と写真から見えるもの。

柴崎  この展覧会のお話を聞いて、別の時間に描かれたり撮影されたものが、重なり合うことで見えてくるものがあるのかなと思っていて。『わたしがちいさかったときに』は、タイトルから、大人になって子どものころを語っているのかなと思ったら、そうではなくて小学生から高校生のまだ子どもたちが、さらに小さかったときのことを思い出して書いているんですよね。それからさらに何年か後に、その文章に当ててちひろさんが絵を描かれた。また、今回の展示では戦後60年のときを隔てて石内さんが撮影された写真を展示している。時差があることで、また新しい重なりができ、遠い過去がより見えてくるような気がしました。

石内  例えばね、資料館には遺品が毎年入ってくるんです。それを聞いたときに私も仰天したんですが、そういう事実ってなかなか知らない。本当に戦後は終わってないんだなって実感しました。写真って過去は撮れない。だから、私にとって「ひろしま」は“今”なんですよ。今、自分が生きている時間と空間を撮っているという意味で、遺品たちも同じ時間と空間にいる。

柴崎  確かに、今ここに存在している遺品なんですよね。それは写真を拝見して感じました。すごく生々しく、この洋服を着ていた人とか、つくった人、その家族を想像してしまいますし、目の前にこれを着ていた人がいるような感覚ですね。この服を実際に着ていたのは何十年前なんですが、その時間が縮まるような。目の前に新しく現れてくるという感じがとてもします。写真に撮ることで、もっとじっくり見ることができる。何時間でも見つめてしまって、見れば見るほど、さらに見えてくる。

石内  そう、それが写真のおもしろさね。これが実物だったら見ていられないと思う。実物はとっても寂しいし、布も汚れていて固くて、そんなにすばらしいものじゃないんだけど。私がきれいに撮っているだけなんです。写真っていうのは、そのものに光を当てて、その光に包まれたときに、一瞬生気がよみがえるような。そんな瞬間があるかなあと。戦争っていうとみんなモンペを履いて、暗い色の服ばかり着ていると思っているかもしれない。私もそう思っていました。でも、資料館に行ってみたら違った。カラフルだし、形はカッコいいし、おしゃれじゃんって思った。それは発見だったんです。若い女の子がおしゃれしたい、それは今も昔も同じなんです。それまで私たちが見ていたものは、歴史的な悲劇、大惨事を受けた被害者はじっと暗く被害者としてじっとしていなきゃいけないという植え付けられたイメージだったんです。おしゃれしているなんて許されないわけなんですよ。でも、現実的にはどこの都市だって爆撃を受ける前にはパリだってニューヨークだってロンドンだって東京だって広島だって、若い女の子はおしゃれしている。そういうひとつの事実が、歴史みたいなもので覆い隠されちゃう。

柴崎  やっぱり教科書などで見る記録写真のイメージが強くなりますよね。平和公園があるところも広大な公園ですが、あそこには街があったんですよね。繁華街で賑やかな暮らしがあったということを、どうしても忘れてしまいそうになる。うちは、母が昭和20年(1945)に広島の呉で生まれたんです。祖父が原爆ドームの近くで働いていたこともあって、広島で起きたことは他人事と思えない。資料館にあるたくさんの遺品を見ると、祖父母とか親戚と同じように、当時広島で生活をしていた人たちのものなんだなっていう感覚がとてもあって。原爆が落ちるという歴史的な出来事があった町ですが、それと同時に、普通の人が普通に生活をしている町なんです。それがどうしても忘れられがちになってしまう。

石内  私の場合は、完全によそものなんです。海外に行ったときにおもしろいなと感じたのは、原爆が日本全土に落とされたようなイメージで語られていること。でも、日本では広島や長崎というひとつの地方でしかない。私は被爆者のことは知らないし、広島に行ったのも2007年の撮影のときが初めてだった。「ひろしま」の写真は、それまでにあった広島のイメージを打ち破るひとつのきっかけになったらいいなと思っています。他の場所と同じように、若い女の子たちはおしゃれだったんだよっていう。

柴崎  事実として戦争があったことや原爆が落とされたことは知っていたとしても、自分たちの現在の生活と過去の出来事が繋がっているという感情を持ちにくいのかなと思います。

石内  人間って全然プラスの方向に向かっていないなと最近思っていて。原発が54基もあるって聞いたときに仰天したんですけど、原爆が落ちた国なのに何も学んでいないのかと。だから、全然過去のことじゃなくて他人事じゃないんですよ。でも、そういうリアリティってなかなか持てないから、若い人たちはある程度想像していかないと。

 

 

写真に写し、それを見ることで、
新しい物語が立ち上がる。

柴崎  そうですね。石内さんの作品の遺品の写真もそうですが、『yokohama 互楽荘(ごらくそう)』の写真もそう。人間そのものよりも、人が使っていたものや住んでいた場所から、強烈に人間の存在が感じられる。写真っていうのはそれを写すことができるんじゃないかなと思っているし、小説のようなフィクションでもそういうことが描けるんじゃないかと思っています。

石内  柴崎さんの小説を読ませてもらったんだけど、アパートがすごくよく出てくる。私がアパートの作品を撮ったときになにを考えたかというと、誰も住んでいない部屋には、住んでいた人の匂いや垢といった目に見えないものがいっぱい詰まっている、それが全部部屋に落ちている。写真にはそれが写るんじゃないかって思ったんです。柴崎さんの『春の庭』を読んで、アパートの作品を思い出しました。あの小説は写真集がひとつのヒントになっていて、写真の想像力と嘘っぽい部分がよく書けていたように思います。

柴崎  ありがとうございます。写真ってそこにあるものを写すから客観的な真実って思われることもあるけど、写真になることによってそこに物語が生まれる、物語と切り離せなくなるというところを描きたかったので、すごくうれしいです。

石内  しょせん演出なんですよね、写真って。自分が撮りたいっていう意志が写真のなかにどうしても入ってしまう。真実はどこにもないんです。それがわかっていると写真はおもしろい。
柴崎  そうなんですよね。一つだけの真実はどこにもないと思いつつ、でもやっぱり写真のなかになにかを見たいと探してしまう。それが写真に心惹かれてしまうところなんです。アパートに興味があるのは、私はもともと大阪出身で東京に移って、その後も何度か引っ越しているんですが、部屋の内見をする度に、ちゃんと清掃も入っているんですが、前に住んでいた人の気配を強烈に感じていて。それがすごくおもしろいと思ったんです。空き家も最近増えていますが、そこに住んでいた人はどういう人だったんだろうって、いつも気になってしまいます。人が住んでいる家よりも、空き家の方が人の存在感を想像してしまう。

石内  魅力的なんだよねえ、空き家って。人が住むためにつくられた建物に人がいなくなると、建物そのものがなんだか生物的になる。息しているようなね、そんな感じがするんですよ。目に見えない、空気や音や匂い、そういうものが写るかもしれないって思っています。あなたも写真を撮られるんでしょう? 写真ってすごい薄っぺらいものっていいましたが、その向こう側も含めて、写真って空気と光の反射かな。その反射がほかの世界にまで通ずるような感じがする。

柴崎  石内さんは以前に暗室の作業がとても好きだっておっしゃっていましたが、私も大学の写真部にいたときは暗室作業もやっていて。その感覚がとてもよくわかります。暗いなかで覗いて、粒子が見えるっていうときの感動ってものすごくある。なんでこの点の集まりに過ぎない表面が、なぜこんなに直接見るのとは違うものを見せることができるのかって。

石内  フィルムってなにか別のものが乗り移るみたいな感じがあるんですよね。特に私は35ミリで撮影しているから。それを引き伸ばすと粒子が荒れて、立体的になっていいんですよ。粒と粒の間に空気が入っているのが見える。大きなプリントをするときは大判カメラがいいって言いますが、あれは間違い(笑)。

柴崎  え! 35ミリで撮影されているんですか? もっと大きなカメラで撮影しているんだと思っていました。

石内  あとは手持ちで自然光。実は私、露出計も持っていないんです。カメラに内蔵されているから。「ひろしま」の最初の撮影のときだけ、ライトボックスを使って透過光で撮りましたが、その後は全部自然光です。三脚も使いません。なるべくシンプルに、すべて自分ひとりで撮れるような写真を撮っているんです。

柴崎  それは大きな発見でした。35ミリだからこそ、こんな写真ができるんですね。何時間でも見れてしまう、不思議な魅力がありました。

石内  現像も前はプロラボを使っていましたが、今ではヨドバシカメラですよ(笑)。モノクロの場合は、フィルムの現像からプリントまで全部自分でやるじゃない? そうすると自分の一部どころじゃなくて、肉体をプリントしているなるような気がして。でもカラーの場合は、すっと窓口に持っていけばいい。あ、写真ってこれかもしれないなと。自分の手からどんどん離れていくのが写真っていうものなのかもしれないと思って。でも作品をプリントするときには、ラボにずーっと詰めて、プリンターさんと大げんかですよ。とことん気に入るまでやってもらう。そういう風にして最近はずっと人といっしょに仕事をしていますが、展示にしてもそうだけど、ひとりでやれることの限界なんてたかが知れてる。作家の力なんて微々たるもので、いろんな人の共同作業がないと、いい作品もできないんじゃないかと思います。

撮影:三嶋義秀
テキスト:上條桂子