ちひろさんの作品を通して、 自分の始まりを見つめ直すことになりました
生誕100年を迎えるいわさきちひろが、現在活躍するさまざまな作家とコラボレートする「Life展」。現在、ちひろ美術館・東京で開催されているのは、現代美術家・大巻伸嗣による「まなざしのゆくえ」だ。人の感覚に訴えかけてくるような大規模なインスタレーション作品で知られる大巻さんだが、絵本の美術館で展示をするのは初めて。今回改めてちひろの作品や人生に触れ、自身の過去の記憶へとダイブしていったという。太古の人々が夜空を見上げ、無数の星から神話を生み出したように、空間に配された断片から物語を紡いでいこう。
美術館に入り、展示室へ向かうとだれかの強くまっすぐな視線を感じる。現代美術家・大巻伸嗣さんによる「まなざしのゆくえ」は、展示室に入る前から物語は始まっている。もとは「花」というテーマで展示の話を持ちかけられたが、膨大な量のちひろの作品と向き合い、ご自身の過去の記憶と対峙するなかで「まなざし」ということばが心に湧き出てきたという。
「最初お話をいただいたとき、非常に悩みました。まずは、資料でちひろさんの過去の絵を見せていただいたんですが、見れば見るほどわからなくなるんですよね。まずはとにかく分量が多い。美術館に収蔵されているだけで9500枚もあるそうで、55年の人生のなかで、それだけの量を描ける作家なんてなかなかいません。タッチも似ているようで絵によって全然違う。その後、文章や日記を読んでいくうちに、ふっと自分の過去を思い出し、ちひろさんの人生と自分の人生をつなげていけば、展示ができるかもしれないと考えました。時代も状況もまったく異なるふたつの人生ですが、作家を目指し自分自身と向き合ってもがいていたころ、戦争や世界で起きている出来事を見る視点などが重なってきて。ちひろさんを通して、自分の始まりを見つめ直すことになりました」(大巻伸嗣さん、以下同)
大巻さんの展示は、1階に3室、2階に1室、計4つの空間に分けられる。さらに展示全体では、1階部分は水面下であり地中のような場所、記憶や歴史を扱っており、自己の内面を探っていくような感覚になる空間。2階部分は水の上であり、大海原を未知なる旅に出ていくようなイメージで構成されており、別の作家がつくったのかと思うほど異なる雰囲気を醸す。しかし、すべてが分断されているのではなく、緩やかにつながっており、ひとつの大きな物語を読んでいるような、そんな体験になるのだ。
戦争と震災における
悲劇をとらえるまなざし
キッとなにかをにらみつけているのか、その視線の先にはどんな悲劇があるのだろうか。大巻さんは、最初のインスタレーションに母のまなざしをとらえた。それを取り囲む2辺の壁には、真っ赤なフレームが配され、関東大震災と第二次世界大戦の空襲後の風景が刻まれている。鏡面になっており、前に立つと、自分の姿が映し出される。この作品は、戦争や震災後の風景。中央の壺は横浜の真葛焼という、現在は失われてしまった焼き物であり、そのなかに当時の人々の営みが映し出されている。それがひとつのフレームに収められていることで、失われた歴史・記憶を見つめるとともに、生きる人々の力強さを表現している。反対側の壁には『戦火のなかの子どもたち』から、大巻さんがセレクトした絵が並ぶ。ちひろの絵のなかにある鉄条網と大巻さんの作品に映る有刺鉄線など、作品同士が呼応するよう配置された。母のまなざしの裏側には、東日本大震災後に大巻さんが描いた被災地のスケッチが掛けられている。
「ちひろさんの時代は今よりも情報は少なかったかもしれないけど、そのぶん想像力があったんじゃないかなと思います。この本で描かれているベトナム戦争にしても、きっとテレビや新聞での報道はあったと思いますが、それだけじゃなく、自分たちが体験した戦争の悲惨さやひもじさと結びつけて、自分のことのように胸を痛めていたのだと。それに比べたら、僕らがいま福島やシリア、イスラエルなどで起こっていることについて、どれだけ想像ができているのか。自分たちの営みが、だれかによって一瞬で奪われてしまうという危うさを、もう一度考えてみたいと思ったのです。また、どんな悲惨な状況であっても、一輪の花の生命力に救われる、そんな希望は残しておきたかった」
ちひろのアトリエで大巻さんが展開したのは、自分自身との対話である。アトリエの再現空間と並ぶようにして、大巻さんが展示したのは、なんと予備校時代に自身で取り組んでいた植物の木炭デッサンだった。植物がすごくゆっくりとしたスピードで、だが確実に伸びていくようすをとらえ、紙を継ぎ足して描かれたデッサンは、確かに絵なのだけど、映像のような趣を持つ。さらに奥の空間には、大学院生時代の大巻さんが、鉄板に人体を描いた作品と、96年~97年くらいの間に毎日水性ペンで描いていたというドローイングがずらり。それらと向かい合うようにして、ちひろが画家として模索していた時代の絵を対峙させた。
生と死の境にある
強烈な“光”を見つめる
とても個人的な自己の内面を掘り下げたあとは、歴史の奥深くへと入り込んでいく。カーテン越しにこちらを見つめる少女と目が合う。「こっちへおいで」と手招きされているようだ。細く暗い通路の先に、ぽつんと明かりが見える。次第に目が暗さに慣れて、空間に入ると、まるでホワイトアウトしたかのようなまばゆい光に包まれる。新作「Echoes-Crystallization -ひかりの風景 ちの記憶-」だ。
最初は真っ白でキラキラとした壁のように見えたが、近づいていくと、花の絵が描かれているのがわかる。大巻さんが2005年から何度も描いてきた「Echoes-Crystallization」シリーズの最新作、日本の絶滅危惧種の花々を修正液と水晶の粉を用いて描いている。戦争や原爆で失われた人々、生きていた人々の瞬間を焼き付けた作品であり、絵に注目しているうちに、床に写り込んだ花の影を踏むという空間インスタレーションとなっている。この作品は、さまざまな場所で描かれてきたが、描く場所によってその思いは変化してきているという。
「ちひろさんの『わたしがちいさかったときに』を読み返したときに、この絵の風景が思い浮かびました。この部屋に入るとハレーションを起こすような強い光を感じると思いますが、それは原爆の光です。そう考えると、絵のなかにはなにが描かれているでしょうか。想像を巡らせていただければと思います。人知を超えた光は、破壊をもたらしますが、同時に美しい。その危うさみたいなものを、体験として感じていただければと」
死を想起させる、破滅的に美しい光。隅々にわたりいくつもの物語の断片が配されている。大巻さんのまなざしとちひろのまなざし、それがどこでクロスするのかを想像しながら、自身の物語にしていく。そんなインスタレーションである。
水面下の世界から、ぶくぶくぶく。水の上へと上がっていきましょう。階段をのぼっていくと、まるでそこは海のよう。次なるテーマは「旅」だ。小さな舟に乗りながら、絵本の登場人物になったような気持ちで、物語の世界へ。夜空に輝く星のように、いろんな場所にちりばめられたちひろの絵。舟にすわってみると、まるで絵の登場人物たちから見つめられているような、そんな気持ちになる。大巻さんは、インドネシアの布に古くから航海で使われてきた海図を描いた。
ちひろと大巻さん、ふたりの作家の過去から現在にいたるまでの「まなざし」、ちひろの絵本に描かれた登場人物たちの「まなざし」、そして鑑賞者であるたくさんの人たちの「まなざし」。広く外に向けられた視点は、未来に向けたまなざしのようにも感じられるだろう。