絵で子どもになるいわさきちひろと、ことばで子どもになる谷川俊太郎さん

東京と安曇野のちひろ美術館で1年を通じて開催する「Life展」もいよいよ終盤にさしかかってきた。安曇野ちひろ美術館では12月16日(日)まで、谷川俊太郎との「みんないきてる」展が開催中だ。子どもから大人まで幅広い層の人たちから愛される絵本や詩を、今でも送り出し続ける詩人の谷川俊太郎さん。偶然にも同じ誕生日(12月15日)だという、13歳年上のいわさきちひろとは、今回が2回目のコラボレーションとなる。本展開催にあたり、コラボ初となる絵本『なまえをつけて』(講談社)も発売中だ。少し世代が違うふたりだが、展示を見ると子どもへの目線は重なる部分が多い。展覧会のようすと合わせて、安曇野で開催された関連イベント「谷川俊太郎によるトークと詩の朗読」より谷川さんのコメントを抜粋する。

 

昼間は心地よい日差しが差すものの、朝晩はぐっと気温が下がり、木々も色づき始めた安曇野。ちひろ公園の敷地内に咲き誇っていたブルーサルビアの花は、青みが弱まり少しかさかさとし、最後のひとふんばりといったようすだ。園内を流れる川には木々から舞った葉が揺れ、子どもたちは追いかけて走り回る。

 

谷川俊太郎さんとの展示「みんないきてる」。展覧会は大きく3つの構成になっている。最初の部屋では、本展テーマに基づいた谷川さんの詩とちひろの絵を合わせて見ることができる。絵とことば。それぞれが呼応し合って、新しい世界が広がってくる。

 

谷川さんは、ちひろの絵を一点一点じっくり見ながら、「微妙な色だよね、印刷できたのかねえ」とか「この絵はあんまり見たことないなあ」という。

 

次の部屋では、本展に際し谷川さんが書き下ろした1編の詩「ちひろさんの子どもたち」と、ちひろが描く子どもたちの絵が展示されている。「ちひろさんといえば、子どもっていう連想をしちゃいますね」と谷川さん。この詩は、数多くのちひろの絵からインスピレーションを得て描かれたもので、ちひろと谷川さん、それぞれの子どもへの視点を想像することができる。

 

「ちひろさんの子どもたち」

ちひろさんの子どもたちは
あかんぼのようにまっさらで
大人よりいっしょけんめい考える
女の子はいつもすっぴん
男の子は戦争がきらい

ちひろさんの子どもたちは
手足のびのびいっぱい遊ぶ
昼間は本を読む 夜は宇宙を読む
友だちには子どもだけでなく
おじいさんやおばあさんもいる

ちひろさんの子どもたちは
悲しいときは堂々と泣く
怒っても悪口はいわない
うれしい時はみんなと笑う
花や小川や紋白蝶もいっしょに

 

 

ちひろと谷川さんによる絵本『なまえをつけて』のコーナーだ。絵本では、ひとりひとりの子どもの顔が大胆に切り取られ、すべてのページで目の位置がそろえられており、めくるたびにひとりの子どもと向き合うような構成になっている。「ちひろさんの絵を見ていて詩ができました。子どもたちに語りかける、または子どもから語りかけられるような詩になりました」と谷川さん。本のサイズもなんとなく子どもの顔くらいの大きさなのだろうか。展覧会を機に本書の企画が立ち上がったそうだが、谷川さんは編集者から受けた提案のなかで、この大胆な案が気に入ったという。

 

絵本に登場する子どもたちの元の絵は、先の展示室に展示されているので、ぜひ探していただきたい。まったく印象が違うことがわかるだろう。「全体の絵を見ていたら、違う詩が生まれていたでしょうね。顔がアップになっていることで、他の情報にしばられない自由なことばが出てきました」と谷川さん。

 

 

谷川さんは、ちひろが描いた子どもたちの絵を見ながら、目の表情についてこう語った。

「ちひろさんの描く“目”ってすごく不思議なんですよね。イラストとか絵のなかで目は大事。僕が翻訳している本で『ピーナッツ』というスヌーピーが出てくる本があるんですが、チャーリー・ブラウンの目なんて点でしかない。でも、点だけで表情が変わってくる。もちろんことばもあるんですけどね。和田誠さんの絵も目が小さい。ちひろさんの描く目は点じゃないんだけど、黒目だけだったり、黒目の部分に色さえ入れない白目だけで表情をつくるというのは、すごいことだと思うんですよね」

「ちひろさんは手の表情までよく見ているんですよね。手と指の表情までちゃんと描いているというのは、観察力があったんだなと思いました」

 

ちひろと谷川さんは顔を合わせたことはなく、共著による本などもなかった。13歳という年の差もありキャリアも異なり、接点がなかったように思われていた。ちひろの絵や仕事はもちろん知っていたという谷川さんだが、世代の差もあり特に興味を持って接していたというわけではなかった。

「いっしょに仕事もしていなかったし会ったこともなかったから、僕が絵本をいっしょに書く絵描きさんと同じような存在だと思っていました。やさしい絵を描いていらっしゃるんだけど、その背後には反戦とか反体制という、芯が一本通っていらっしゃる人だなと思っていました」と谷川さん。

しかし、本展の企画を進めていくなかで1973年5月から始まった新聞連載で、ふたりがコラボレーションしていたということと、そのための原画がまだ一度も展示されていないということがわかった。道の始まりから終わりまでを描いた連作の詩、「みち」である。ちひろ54歳、谷川さん41歳。ちひろが亡くなる前年のことだ。

 

当時、絵本の創作を始めて間もない谷川さんだが、ちひろの絵についてどのような印象を抱いていたのだろうか。

「ちひろさんの絵にある、子どもが本当にかわいくて甘い感じというのに、僕はちょっと警戒していたんですよ。なぜかというと、当時はかわいい絵本がすごく多かったんですが、僕はそういう絵本とは違う絵本をつくりたいと思っていたから。それには家庭環境があるかもね。父親は昭和の初期に流行っていたような童謡が大嫌いで、家にあった絵本といえば世界美術全集とかで、同世代の子たちが読む絵本とかは与えてもらえず、幼稚園で初めてキンダーブックとかを見た。当時から甘ったるい絵は好きじゃなくて、車の絵や図鑑のような絵が好きでしたね。だから、僕が絵本をつくるときも、わざわざ『こっぷ』のようにモノをテーマにした写真絵本にしたりしていましたね」

 

「みち」の連載のときは、谷川さんが書いた詩に対してちひろが絵をつけていた。谷川さんは、この鹿の絵がお気に入りだったよう。当時は、交流もなく興味もそこまでなかったというちひろの絵だが、もちろん谷川さんの目には入ってきており記憶にも残っている。今回改めてちひろの絵に向き合い、印象はどう変化したのだろうか。

「ちひろさんは絵で子どもになれる。僕はことばで子どもになれるんだと思います。子どもだけじゃなくて、女性にもおばあさんにも。どんどん自由になってきている。年取ってくるとよけいに自由になれるのかもね」

 

また、谷川さんがいっしょに本をつくる際の絵についてこう語った。

「なんか足りない絵のほうがことばをつけやすい。最初から絵本を書く場合も、ことばを考えてから絵をこの辺でやめて欲しいと絵描きさんに伝えることがありますね。僕は好きなイギリスの絵本作家、ジョン・バーニンガムを『アンダーステートメント(under statement)』と評したことがあって、要するに絵でいい過ぎない。絵だけじゃなくことばもそうだと思います。それはある意味日本的だなと。俳句なんてまさにそうでしょ。少ないことばで情景を伝える。絵を細かく描き過ぎるよりも、ちひろさんくらいのほうが好きですね。僕がよくいっしょに仕事をしている長新太さん、和田誠さんも説明的な絵は描きません」

 

ちひろと谷川さん。今まであまり接点がなかったふたりの共通点が少しずつ見えてくるような気がする。さらに谷川さんは続ける。

「子どもの絵を描く絵本作家さんで、子どもにおもねるような絵を描く人もいるじゃないですか。ちひろさんの絵は全然違いますよね。和田誠とか長新太もそう。僕が好きな絵描きの人たちは、みんな子どもにおもねってないんです」

 

絵で子どもになれるちひろと、ことばで子どもになれる谷川さん。ふたりの絵とことばはシンプルだがまっすぐに心に突き刺さり、自然と頭のなかで想像や疑問や空想が果てしなく広がる。また、隣り合わせになったことばと絵は、それぞれに呼応して、単体だけでは味わえなかった世界が開けてくる。絵を見て、ことばを読んで、また絵を見る。そのたびに、きっと新しい発見があるだろう。

 

撮影:森本菜穂子
テキスト:上條桂子