帽子は一番小さな子どものへや!? トラフの遊び場が誕生。

生誕100年を迎えるいわさきちひろが、現在活躍するさまざまな作家とコラボレートする「Life展」。安曇野ちひろ美術館で7月21日(土)から始まったトラフ建築設計事務所による「子どものへや」は、夏休みシーズンもあり大にぎわい。今回の作品は、離れて観賞するものではなく、なかに入って触って、参加して楽しめる「帽子」をモチーフにしたワークショップスペースだ。人が参加することで作品が生きてくる、これはトラフが手がける建築にも通ずる考え方である。今回は、グラフィックアーティストBob Foundationとして活動する1児の母・朝倉洋美さんにトラフの作品を体験してもらった。

 

北アルプスの麓にある安曇野ちひろ美術館。安曇野と聞いて高原の気候なのかと思いきやそうではない。東京よりは湿度はないものの、天気がいい日はかなり暑くなる、Bob Foundationの朝倉洋美さんにお越しいただいた日も、相当な暑さだった。美術館に一歩入ると、もうそこからトラフの世界が始まっている。「空気の器」のインスタレーションだ。

「空気の器」とは、2009年に紙器メーカー福永紙工の自社ブランド「かみの工作所」シリーズのプロダクトとしてトラフによって考案されたもので、円形の紙に0.9ミリのごくごく細い切れ目を入れてあるもので、中心を押さえながら少しずつ広げていくと、器の形に立ち上がる。紙の厚みや切れ目の太さを何パターンもスタディし、紙なのだがまるでワイヤーのように形がキープされる形がつくられた。平面の紙がみるみるうちに立体になっていくというのは、建築的な考え方。また、写真は両面白いものだが、両面の色を変えることで裏表の関係で不思議な色の見え方になる──たとえば、表が青で裏が黄色の場合、立ち上げた器は一方から見ると青、裏を返すと黄だが、その角度を少し変えていくことによって青から黄色までのグラデーションで緑色に見えたり、黄緑色に見えたり、変幻自在なのだ。洋美さんは美術館に入ってきたときの印象をこう話した。

「木の香りがふわっとするあたたかみのある美術館ですね。そのなかで『空気の器』は、文字通り空気みたいにふわふわと浮いていてなんだか不思議な感じ。『空気の器』があることで、目線が上に行くので、普段あまり目に留まらない天井のつくりにも目がいき、おもしろい感覚です」

 

『空気の器』は生誕100年にあわせ、ちひろバージョンを制作。「赤いぼうし」「にじみとぼうし」「ぼうしのある風景」の3種が制作された。入口では真っ白だった『空気の器』は、展示室に近づくにつれてちひろバージョンのものが増えてカラフルになり、だんだんと帽子の形になってゆく。

 

ちひろの絵のなかに、
描かれていたたくさんの帽子

最初の展示室では、ちひろが描いた帽子が展示されている。タイトルには「子どものへや」とあるのに、なぜ帽子なの?と思う方も少なくないだろう。最初、美術館からトラフに依頼した展示テーマは「子どものへや」だった。トラフの鈴野浩一さんは展示経緯についてこう語る。

「話をいただいたのは2年ほど前なのですが、最初は『子どものへや』というお題で、どんなへやをつくろうかなと考えていました。資料を送っていただいて、ちひろさんの絵を見ていくと、いくつか子どものへやを描いたものもあるんですが、へやの描写というのが本当に少なかった。もともとちひろさんの絵は、人物以外の風景は抽象的なものが多くて、空間的に表現するのは難しいなと思ったんです。どうしようと思いながら本をめくっていたときに、ふと帽子をかぶっている子がすごく多いなということに気がつきました。『窓ぎわのトットちゃん』に使われた絵もそうです。帽子をかぶった子どもたちの絵を見ていたら、子どもにとって帽子というのは、一番身近なへやであり、安心できる場所なんじゃないかと思って。それで、テーマを帽子にすることにしたのです」

 

 

展示室では、子どもたちが帽子をかぶっている絵を中心にした「主役になる帽子」、子どもが帽子を手にしていたり、帽子を使って虫取りをしたりする風景を描いた「よりそう帽子」、つばつきの帽子だけではなく、ニット帽やキャスケットなどが登場する「いろいろな帽子」、帽子から違う風景が広がっていく「帽子から広がる世界」とカテゴリにわけ、トラフと学芸員がいっしょに選んだちひろの絵が並ぶ。学芸員の方も、今回の展示を通して、こんなにちひろが帽子のある絵を描いていたのだということに驚いたそうだ。しかも、帽子が描かれていたのはちひろが50歳前後のものが多く、そのころというのは一番筆が乗っていた時期だという。トラフのまなざしは、美術館にとっても新しい発見となった。

 

 

「恥ずかしながら、ちひろさんというと『窓ぎわのトットちゃん』くらいのイメージしか持っていなくて、こんなにたくさんちひろさんの絵を見たのは初めてです。まずは、美術館の居心地のよさにびっくりしました。家のなかで絵本を読んでいるようなリラックスした雰囲気で絵を見ることができるし、建物全体からやさしさがにじみ出ている。ホワイトキューブに慣れていたので驚きましたし、ちひろさんのイメージにぴったりだと思いました。また、私が普段描いている絵やデザインは、どちらかというと原色ではっきりした主張のある絵が多くちひろさんとは正反対です(笑)。今回絵をたくさん見て、彼女のにじみの技法や構図というのは、見る人の想像力を広げるんだなと改めて思いました。受け手に委ねる部分が多い絵のなかに、確固とした強い信念がある、そんな風に感じました」と洋美さんはちひろの絵について語った。

 

展示室の前には、「子どものへや」の10分の1模型が展示されており、フォトスポットになっている。

大きな帽子の、
子どものへや。

帽子型の空気の器に誘われて、次の展示室へ。トラフの作品だ。「子どものへや」は、大きな帽子型のワークショップテーブルである。制作に協力したのは保育施設や遊具に定評のある創業100年の老舗、ジャクエツ。直径3.9メートルの大きなドームに80センチのつばがぐるりと周囲を取り囲む。ドームは北九州市立大学のメンバーらが開発した「スター★ドーム」という構造が用いられている。幅30ミリ、15本の竹で造られたドームは非常に強度が高く、簡単に設営と解体が可能だ。竹同士は接着などはされておらず、カラフルな結束バンドのみで止められている。もちろんドームのなかにも入ることができる。つばの部分はテーブルとして使用。子どもが内側と外側の両サイドにすわっても十分に作業ができるが、離れ過ぎない、絶妙な距離で80センチとサイズが決められた。

 

ワークショップをする際のクッションも今回新たに制作された。プールで使用するビート板などの素材で知られるポリエチレン樹脂のカラー発泡剤を使って、ちひろの水彩技法である「にじみ」を表現した。裏表で色が違うのもトラフらしいご愛嬌。子どもたちは、ピンクがいいとか青にする~といって、好きなクッションにすわったり、裏返してみて驚いたり、さまざまな反応を示してくれた。クッション制作は、三和化工株式会社に協力してもらい実現に至ったという。

 

8月1日~16日までは、「中学生ボランティアによるワークショップ ちひろの水彩技法体験」と題し、ちひろの水彩技法である「にじみ」をつくるワークショップが開催される。つくった「にじみ」は、帽子に吊り下げていく予定だ。会期中、たくさんの「にじみ」のオーナメントが帽子を飾ることになる。上記以外の期間、この場所では「ちひろとコラボレーション 帽子を描こう」というワークショップが行われている。ちひろが描いた子どもたちの顔を下絵に、思い思いの「帽子」を描いていくというもの。描いた絵は、入口付近の壁に掲示できる。

 

 

さっそく、洋美さんにもちひろとコラボレーションしてもらった。最初少し考えていたが、画材を手にとり黙々と絵を描いていく。「ちひろさんの描く顔は難しいなあ」といいながら、どんどん顔の絵が増えていく。完成したのは……。

 

こちら。もちろんいい意味で、ちひろの絵がまるで違うものに見えてくる。グラフィックデザイナーらしい、1枚を描いてくれた。

 

「トラフの作品ですが、まずは『空気の器』って本当にすごいなと思い知らされました。発売されたころから商品については知っていますが、こんなに多彩にいろいろな形で空間を演出できるんだということに驚かされました。また、『子どものへや』もおもしろかった。人が入って初めて出来上がるというのも、すごく建築っぽい考え方だし、この場だけで終わらない、展示期間が終わってもちゃんと使えるものをつくるというのもいいなと思いました。あと、今回は体調を崩してしまったので連れて来られなかったのですが、本当に息子を連れてきたかった! 美術館自体を体験して欲しいし、帽子のなかに入ってみて欲しいですね。またぜひ訪れたいと思います」と洋美さん。

展示室で少し見ていただけでも、ちひろの絵から発想した巨大な帽子の周囲では、子どもたちが走り回り、つばの部分をテーブルにしたりイスにしたり自由な使い方をしていた。きっと会期中には、思いも寄らぬ使い方が発見されたりするだろう。子どもたちによって作品はどんどん成長していくのだ。「子どものへや」は、9月以降、台湾の誠品書店などでの展示も決まっているという。

 

撮影:三嶋義秀
テキスト:上條桂子