いわさきちひろというひとりの女性を知って、改めて絵を見る、感じる。

生誕100年を迎えるいわさきちひろが、現在活躍するさまざまな作家とコラボレートする「Life展」。ちひろ美術館・東京で7月22日(日)まで「Life展」着るをたのしむ spoken words project が開催中だ。美大生だったころに、ちひろの絵を模写して技術の高さに驚いたというデザイナーの飛田正浩さん。今回、作品を制作するにあたり、ちひろの過去の作品や、彼女が着ていたものに触れ、改めてちひろのことを、敬意を込めて「いい女」だと評する。本展では、ちひろと対峙した4本のテキスタイル作品をメインに、彼女の作品や技法、生き方からインスピレーションを得た洋服をつくり、モデル撮影を敢行した。spoken words projectとも親交が深く、自身も油彩画専攻で絵を描いているモデルの前田エマさんにご登場いただき、「ことば」と「服」、「女性」についておおいに語っていただいた。

 

──飛田正浩さんと前田エマさんはたぶん20歳くらい年齢が離れていることもあり、性別も違うので、それぞれいわさきちひろさんへの接し方が違ったのではないかと思います。まずは、おふたりのちひろ体験からお聞かせいただいてもいいですか?

 

飛田正浩(以下、飛田)
ちひろの絵は、幼いころから家のさまざまな場所で見かけたし、身近な存在ではありました。でも、なにか特別な感じがするかというとそういうわけではなくて。そのあと、絵を絵として描こうと思った時期に、ちひろのすごさに驚いたんです。彼女の絵を見て練習もしたし、模写ももちろんしていました。実は、この展示の話をもらったときに、少しだけ参加するかどうか悩んだんですね。というのは、ちひろの作品とコラボレーションすることによって、自分のなかでひた隠しにしてきた少し恥ずかしい部分──やさしい気持ちや子どもに対する思い、平和への考えっていうような、が出ちゃうような気がしたからすぐには返事が出せなかったんです。そのあと、ちひろ美術館から資料がたくさん送られてきて、彼女の若いころの葛藤や培ってきた強さ、感情的な部分に触れて、これは自分も含めて、みんなもっと見た方がいいぜって思って(笑)。そのあとは作品にのめり込みました。

 

前田エマ(以下、前田)
ちひろの絵との出会いは、小学生のころに黒柳徹子さんの『窓ぎわのトットちゃん』を読んだときです。私はちょっとトットちゃんに似たような小学生時代を送っていたので、すごく勇気をもらいました。幼いころから、ほかのちひろの本も目にはしていたし、母に読み聞かせもしてもらっていましたが、私のなかでちひろの作品は怖いというイメージがありました。画面に余白が多いし、輪郭がぼわっとしていてはっきりしていない。絵本の内容もわかりやすいものではなかったように思います。だから、作品には触れながらも、好きというよりは逆に自分からは近寄りがたい存在でした。大人になって、自分が絵の勉強をし始めたころにちひろの絵を見たときに、画家としてとんでもなく絵がうまいということにびっくりしました。デッサンひとつとっても本当に人やものをよく観察しているなと思いますし、水彩画の技法に関しても当たり前のことですが、すごく勉強をされていて。画家としてのちひろの突き詰めていく姿勢に感動したんです。また、ひとりの女性としての生き方もすごい。絵本作家の女性、そしてちひろの作風的にも、ほわほわとしてやさしい人というイメージを持ってしまっていたのですが、絵に対しても戦っていたし、世間とも戦ったすごく強い女性でした。愛する人を大事にするという意味でも尊敬できる生き方をしていた。そんな姿に心が震えました。それを知ってから絵を見ると、なんだかちひろの作品の持つはかなさがわかるような気がしたんですよね。それが、私のちひろ遍歴です。

 

飛田  今は亡きちひろという人から服をつくるとなると、いろんな情報を得て、想像も含めて彼女をひとりの女性として見なきゃいけない。それは、ふだん僕がアーティストの衣装などをつくるときと同じ。そのための情報を集めているときに、やっぱり「いい女」だなと思って。いい女っていうのは、もし同世代だったら友人として仲間になりたいと思うくらいという意味です。ちひろの作品は、見れば見るほど発見があって、デッサン力ひとつとっても、鉛筆の使い方にしても、相当観察力があるし、見ていて飽きない。今回、それを発見できたのはすごくよかったなと思う。と同時に、今までは代表的な作品しか知らずに、彼女のことをちゃんと見ていなかったんだなということにも気づきました。

 

──今回美術館からちひろとのコラボレーションだという依頼をされたのだと思いますが、どういう風にそれぞれの作品を決めていかれたのでしょうか? 構成としては、最初の部屋は洋服とちひろの絵が共存して色相ごとに絵と服が並んでいて、次のちひろのアトリエの部屋では新しく制作した服のモデル写真があって、最後の部屋に大規模なテキスタイルのインスタレーションがあります。

 

 

飛田  純粋に4本の布が飾ってある部屋は「僕対ちひろ」。今回の展覧会に対する答えをズバッと出しました。アトリエの部屋は、ちひろのデスクや編集者が待っていたであろうソファが並んでいることから彼女の仕事の空気が感じられたので、こちらもアパレルという仕事がちゃんと見えるようなファッション写真を並べました。絵と洋服が色相ごとに飾ってある部屋というのが、実はいちばん悩んでぎりぎりまで迷っていたところで。僕がspoken words project(スポークン ワーズ プロジェクト 以下、スポークン)というブランドをやり始めたばかりのころの服を出しています。当時は、どこからが作品で、どこからが商品なのかというのをすごく考えていた時期で、ことばを服につけて出してみたり、布に筆で絵を描いてみたかと思えば、普通に服をつくってみたり、いろいろと迷いながらやっていて。なぜその時期の服を出そうかと思ったかというと、ちひろの絵を見ていて過去の自分を思い出したのもあるんだけど、彼女も画家とイラストレーターの間で、作品と商品の間で迷ったことがあったんじゃないかと思ったんです。なので、あえて古いのを引っ張り出してきて展示をしてみました。

 

 

前田  ちひろは絵だけじゃなくて、絵とことばが常にいっしょにある絵本を残し続けていました。スポークンの最初のほうの作品は洋服にことばが描かれている。ブランド名にしてもそうだけど、ことばと絵がすごく親密というか。おふたりの作品を見て、ことばと絵の関係性みたいなものがすごく気になりました。

飛田  確かに。絵にことばって、絵を描いている人からしたら必要ないっていわれるかもしれない反面、絵本や挿画だったりすると、ことばと絵は切っても切れない関係だったのかもしれない。あんまり意識していなかったけど、いわれてみれば確かにそうだよね。

 

ことばに着せる服、
絵とことばの関係性について。

前田  『窓ぎわのトットちゃん』を読んだときに、文章を読んでから挿絵を描いたのだとばかり思っていたのですが、実はちひろが亡くなったあとに、黒柳さんが自分の子どものころのお話を書いて、遺された作品から絵を選んだんですよね。それを聞いたときは驚きました。小さなときから私にとって本を読む楽しみのひとつが挿絵でした。「あと3ページ読んだら挿絵が出てくる!そこまで頑張って読もう!」という気持ちになったんですよね。ずっと聞いてみたかったんですが、そもそもスポークンはどのようにして立ち上がったのですか?

飛田  もともとこの名前は洋服のブランドの名前ではなくて。美大にいた4年間にやっていたバンド活動の名称。音楽活動ももちろんやっていたんだけど、大学のなかに「town」とか「sex」といったようなことばを貼りめぐらせるっていう、ハプニング的な活動をしていて。現代美術の先生が、貼ったことばを全部並べて頭文字を読むとこういう意味になるって独自の解釈をしてくれたり。バンドのライブのときにも、詩を読んだり、友だちの映像を流したり。そういう感じで幅広く活動をしていたので、バンドのライブのときにも「spoken words project presents~」と名打つことで、普通のバンドと違うっていう存在感を示していたんです。活動としてはわりと盛り上がっていたんですが、ふと、服をつくりたくて美大に入ったんだって思い出して、卒業後はファッションレーベルにしようと思いました。また、学生時代にも「ことばに着せる服」というコンセプトで作品をつくったりもしていたので、結果的にずーっと変わらない活動をしているんだと思います。

 

前田  「ことばに着せる服」って、ちひろさんがやっていた絵の仕事にもつながっていますね。ことばに服を着せているのではないかなと思います。ちひろの作品、特に水彩画の仕事を見ていると、真っ白な紙のなかに、本当はすでにひとつの世界があって、絵の具を置くことでそれを浮かび上がらせていくような感覚がある。描いているっていうよりは、空間のなかにあるものをつかみ取っていくような。

飛田  なるほどね。確かにちひろの絵を見ていると、じゅわーんとなにかが浮かび上がってくるような、それは触れられるものなのか、それとも空間なのか、立体なのかなんなのか不思議な感覚がありますね。僕の場合は、画用紙になにか描いてみて、できあがった事象に対して次の一手を投げかけてみるっていう、偶然性に頼っている部分がけっこうあるんだけど、ちひろの場合は偶然性というよりはもっと見えていたんじゃないかなと思っていて。

前田  わかります。描きたい形が明確にあって、そこに向かって絵の具で導いていく作業がすごく的確だったのだろうなと思いました。それと同時に、おふたりの作品には共通してうれしさみたいなものがあるように感じました。小さなころ、絵の具が紙ににじむと、それだけで楽しくてうれしい気持ちになった。おふたりの作品を見ていると、そうしたうれしさみたいな感覚がずっと続いているんじゃないかなと思う。絵が柄になっていく、形になっていくことに対してのよろこびみたいなものがあって、すごくわくわくしました。

 

飛田  作品づくりを通して、僕にとって絵ってなんだろう、ちひろさんにとって絵ってなんだろうって考えていて。ちひろはある意味仕事として、潔くやっていた部分もあるんじゃないかなと思う。だから、いい意味で裏切りや意外性があんまりなくて、きちんと期待に応えていくという印象があって、非常にスパンッ!!としているっていうか。カッコいいなって思う。一方、僕はファッションはアートなんだ!って額に汗しながらもいい続けてはいるんだけど、そこまで割り切れてないというか。

前田  以前、田島征三さんとの対話のなかでちひろが「自分の絵はほわほわしているとか余白が多いということを世間にいわれる。それが悔しい。なかなか認められないけど、私はこれをやり続けるんだ」というようなことをいっていたというのを読んで驚きました。彼女の芸術家の一面を見たというか。やはりそういう葛藤があったのだなと。今回の展覧会でちひろが着ていた服もたくさん見ましたが、本当にかわいらしかったです。こだわりがつまっていました。

飛田  洋服ってその人となりがすごく出ると思っていて。彼女の服を見せてもらったときに、洋服が好きだという思いがビンビンに伝わってきた。自分で手縫いで直しているところもあるんだけど、私は洋服をこう着たいという確固たる思いがあったんだなと思う。直して着るっていうのは、ものを大切にする気持ちもあったんだと思うんだけど、それよりも自分の好きなことを大切にしているんだということが伝わってきました。彼女の服を知ってから、絵を見直すと、そこにはまた新しい発見があって。ちひろの洋服のセンスのよさというのは、彼女が絵を描くことを通して触れてきたヨーロッパの文化に裏打ちされている部分があったんだろうなとか。それにしても、ちひろの洋服には時代感だけではない特有のモダンさや媚びなさがあったように思う。

 

 

前田  媚びてないですね。アトリエの部屋に展示してあった、旦那さんといっしょにいるときの写真がそれをよくあらわしているような気がします。確固たる自分らしさがあるというか。私はまだ結婚もしていませんが、ちひろの自分らしさに憧れます。私はどうしてもとなりにいる人の服装に合わせてしまうような部分がある。でも写真のなかのちひろを見て、自分らしさもありつつ、周りにいる人に対してもいい気持ちにさせるし、凛々しい強さもある。その全体的なファッションの軸にすごく惹かれました。写真のなかに登場するルネっていう洋品店、向田邦子さんが洋服をつくっていた店ですよね? そのふたりの共通点である、ものづくりをしながら自分の身なりにも信念を貫いていた姿にすごく感動しました。

 

ちひろが子どもに向けるまなざしを、
改めて考えてみること。

 

飛田  黒柳徹子さんがビジョンを共有できるのもすごくよくわかる。ふたりは一度も会ったことがないって聞いたけど、ちひろの生き方そのものが徹子さんも含めて、たくさんの人を惹きつける魅力のひとつなんだと思う。改めて、いい女だと。

前田  徹子さんは子どもを持たない生き方をしていて、ちひろさんには子どもがいた。けれどそんなことは全然関係なくて、本当にやさしくて強い人っていうのは子どもがいようといまいと、子どものことを心の底から考えられるんだなと。ちひろ美術館にくる度に、そう感じます。私自身はどちらになるかわかりませんが、どちらになったにせよ、そういう人間になれたらすてきだなと思いました。

 

 

飛田  僕は子どもができてびっくりして、あわててお父さんになったから(笑)。子どもを持ったということも、今回ちひろとコラボをしようって思った要因のひとつなんだと思う。最初にいったけど、心の底でひた隠しにしてきたような、少し気恥ずかしいような気持ちも、子どもと毎日接するなかで、出していってもいいんじゃないのって思うようになった。さっきエマちゃんがいったけど、子どもがいようがいまいが子どもに愛情を持って接するというのはすごく大事。子どもって永遠に絵のテーマになるくらい大切なものなんだよね。この展覧会を見て、改めて子どもというものに目を向けてもらえるといいなと思っていて。それは、子どものころの気持ちだったり、子どものころ不思議だと思っていたことを改めて考えてみるとか。童心に返ってまた日常を見直してみる。それは、ちひろの絵もそう。既成概念ではなく改めて見てみると、そのなかに新しいヒントがあるんじゃないかなと思う。

撮影:三嶋義秀
テキスト:上條桂子